親日国という言葉の裏にある現実は?

「親日」と呼ばれる人の多くは、「無関心」の中に埋もれている

最近、ニュースや記事で「親日」「親日国」という言葉を目にすることが増えました。
個人としては、その言葉を聞くたびに嬉しい気持ちになります。
しかし同時に、少し言葉が独り歩きしているのではないかと感じることもあります。

外交の文脈で言えば、親日国や友好国の存在は非常に重要です。
国家同士の関係において、それが相互利益につながるパートナーであるかどうかは、国益に直結する大切なポイントだと思います。

では、それが国民一人ひとりのレベルになった場合はどうでしょうか。


私はこれまでいくつかの国を訪れてきましたが、その中で感じたことがあります。
それは、「親日国」と言われている国であっても、その国の人々が日本人に対して必ずしも温かい感情を持っているとは限らない、ということです。

冷静に考えれば当然かもしれません。
街で東洋人を見かけても、中国人なのか韓国人なのか日本人なのか、区別がつかない。
多くの場合、「アジア人がいるな」と思うだけでしょう。

メディアでは、日本が大好きだと語る熱狂的な人々が映し出されることがあります。
しかし、日常生活においては、日本に対して「良くも悪くも特別な感情を持っていない」、つまり無関心な人が大多数なのが現実だと思います。


私が海外で感じたこの「無関心」は、決して敵意ではありませんでした。
ただ、日本という国が日常の中で特別に意識されていないだけです。

それは、多くの国にとって日本が「良くも悪くも普通の国」である、ということなのだと思います。
そして本来、他国から特別視されないことは、必ずしも悪いことではないはずです。


「日本文化が好き」=「日本人が好き」ではない

近年、世界各国でアニメや日本食、日本文化全般の人気が高まっています。
寿司は特に西洋社会では、かなり定着した存在だと感じます。

しかし、これらの人気がそのまま「日本人が好き」「日本人を特別視している」ことにつながるかというと、話は別のように思います。

実際、YouTubeで
「寿司は好きだけど、日本の男は変態が多いから好きじゃない」
という意見を話している人を見たことがあります。

また、日本文化には興味があるけれど、日本人は閉鎖的だと思う、という人にも実際に会いました。

日本文化への好意が、必ずしも日本人そのものの評価を高めるわけではない。
その現実を感じる場面は少なくありません。


個人的な経験ですが、海外を旅行していて国籍を積極的に明かすことはあまりありません。
それでも出身を聞かれて「日本」と答えたとき、笑顔になってくれた人もいました。

日本という国は、全体としてそこまでネガティブに見られてはいないのだろう、と感じた瞬間でもあります。

ただし、普通にしていれば他のアジア諸国との違いが分からないため、そうした経験が頻繁に起こるわけでもありません。


メディア報道が生むバイアス

日本のテレビや記事では、日本を称賛する内容の番組をよく目にします。
YouTubeでも、来日した外国人に日本の良いところを語ってもらうインタビュー動画が多くあります。

しかし、それらは「日本についてポジティブな意見を言ってくれる人」を選んで放送しているものです。
否定的な意見があったとしても、それが表に出ることはほとんどありません。

視聴率を考えれば、その方が都合が良いのでしょう。
日本人の「海外から認められたい」という承認欲求を満たすコンテンツは、需要があるからです。

かつて世界経済をリードしていた時代から衰退し、現実を前に自信を失いつつある中で、そうした欲求が強まるのも不思議ではありません。


日本を称賛する外国人の声が繰り返し流されることで、
私たちは「世界からどう見られているか」という一面的な評価に安心しようとしているのかもしれません。

実際、日本に対して良い印象を持つ人が多いのも事実でしょう。
でなければ、これほど多くの旅行者が訪れ、リピート率が高いという状況にはならないはずです。

しかし、好意的な言葉だけを集めた映像が、現実そのものとは限りません。
それを現実だと思い込んでしまうと、冷静な自己認識を失ってしまいます。


親日かどうかを過度に気にするよりも、
「多くの人にとって日本は無関心の対象である」
という現実を正しく受け止める方が、よほど健全なのではないでしょうか。

そして同時に、海外で自分たちがどのように振る舞うのかを考えることも大切だと思います。

海外旅行に出る前に、日本称賛動画だけを見て偏った認識を持つのではなく、
そのバイアスを一度疑ってみることをおすすめします。

コメント

タイトルとURLをコピーしました