なぜ私たちはマスターベーションとポルノに疑問をもたなくなったのか

いつの間にか当たり前になった文化

このタイトルで公開しようか少し迷いましたが、
自分が思っていることを、あえてはっきり書こうと思いました。

スマートフォンが一般的になってから、すでに10年以上が経ちます。
生活は確かに便利になりましたが、その一方で、ポルノも非常に簡単に手に入るようになりました。
インターネット環境さえあれば、子どもであってもアクセスできてしまいます。

日本は、もともと性の文化に対して比較的奔放な側面を持っていました。
表立ってはあまり語られませんが、性風俗店は多く、最近までコンビニにはアダルト雑誌が並んでいました。
また、「童貞」という言葉が若者の間で強い恥として認識されていることも、その一例だと思います。

そうした土壌の上に、スマートフォンという強力なツールが加わりました。
結果として、性はより身近なものとなり、
ポルノやマスターベーションは、多くの日本人の若者にとって
以前よりも「当たり前のもの」になったと言えるのではないでしょうか。


どうして世間はこの問題を積極的に取り上げず、害について語らないのか

私は現在30代ですが、20代になりスマートフォンが当たり前になった頃から、
この問題について強い違和感を覚えるようになりました。

それは、これほど中毒性が高いものが、なぜほとんど問題視されていないのかという疑問です。

日本にはさまざまなギャンブルがあります。
それらには年齢制限があり、
ニュースやドキュメンタリーでは、パチンコなどで人生が壊れてしまった人たちの姿が取り上げられています。

しかし、ポルノについてはどうでしょうか。
私の知る限り、テレビや主要メディアで本格的に問題提起されているのを見たことがありません。

近年、欧米の先進国ではポルノに対して厳しい法律が整備されつつあります。
それだけ、潜在的な問題が大きいということのはずです。
それにもかかわらず、日本ではほとんど動きがありません。

日本とアメリカは、世界でも最大級のポルノ生産国です。
海外では「日本人=変態」というイメージを持つ人がいることも事実です。

明確な証拠があるわけではありませんが、
こうした事実が、ネガティブな側面を報道しにくくする空気を生んでいるのではないか、
そう勘繰ってしまう自分もいます。


どれだけ悪影響があるのか

私は、これほど中毒になりやすいものは、そう多くないと思っています。

ポルノを見ているとき、脳内では大量のドーパミンが放出されます。
その刺激に慣れてしまうと、より強い刺激を求めるようになります。

しかも、努力をほとんど必要とせず、
簡単に大量の快感を得ることができてしまいます。

その結果、
勉強や運動、読書など、
本来であれば人生を豊かにする行動から得られる刺激では
脳が満足しなくなってしまいます。

私は、これは社会を内側から壊していく、とても恐ろしい現象だと思っています。

「草食系男子」という言葉がありますが、
これもポルノやマスターベーションの影響が
少なからず関係しているのではないでしょうか。

日本の男性が中性的になっている背景にも、
こうした要因があるのではないかと感じています。

近年では、大学生がポルノにのめり込み、
進級できずに退学したという話も耳にしました。

無料で映像を提供し、
より多く見させて中毒にさせることで利益が生まれる。
そうした構造があるのだとしたら、
とても健全とは言えません。

マスターベーションについても触れておきます。

私自身、中学生の頃、野球部の練習前にその行為をしてしまい、
練習にまったく集中できなかった経験があります。
体は重く、走ることもつらかったのを覚えています。

世間では
「射精しないと前立腺がんのリスクが上がる」
といった話もよく聞きますが、
研究で示されているのはあくまで関連であって、
原因が証明されたわけではありません

それにもかかわらず、
こうした情報だけが一人歩きしていることにも、
違和感を覚えています。


教会でもあまり語られない事実

この問題は、実は教会でもあまり語られていません。
少なくとも、私の通っている教会では、一度も聞いたことがありません。

確かに、とてもオープンに話しづらいテーマです。
しかし、世界中で多くの若者がこの問題で苦しんでいる中、
間違っていることを間違っていると伝えなければ、
さらに多くの人が人生を台無しにしてしまう可能性があります。

私自身も、長い間この問題から抜け出せずにいました。
正直に教会で打ち明けることもできず、
一人で調べ、悩み続けていました。

たまたまYouTubeで、
「それをやめて人生が変わった」という人たちの話を見て、
救われた部分もあります。

それでも、
教会の中に安心して相談できる人がいたら、
どれほどよかっただろうかと思うことがあります。

この問題がタブーとして扱われるのではなく、
正面から取り上げられるようになることを、心から願っています。


この問題からの解放は、人生を豊かにするために欠かせない

何度も言うように、
この問題は非常に中毒性が強いにもかかわらず、
世間ではほとんど問題視されていません。

依存症は、
人の倫理観や理性を麻痺させ、
取り返しのつかない個人的・社会的損失をもたらします。

聖書は、こう語っています。

ローマ12章2節
「この世と調子を合わせてはいけません。
いや、むしろ、心を新たにして自分を変えていただきなさい。」

Ⅰヨハネ2章15–16節
「この世をも、この世にあるものをも、愛してはいけません。」

もしこの世が
「この問題は大したことではない」
と言うのであれば、
それに無批判に従うべきではないと、私は思います。

なぜなら、その先にあるのは、
命を生かす道ではなく、
静かな破壊だからです。

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