「もったいない精神は、私たちを豊かにしているのか」

もったいないは疑われない価値観

「もったいない」という価値観は、日本人にとってとてもなじみ深いものだと思います。周りの人や家族も当たり前のように使っている言葉なので、特に疑問を持つことなく使ってきました。私の家族の中では、特に戦争を経験した祖父母がよく口にしていた言葉だったと思います。食べ物やさまざまな物が不足していた時代背景が大きく影響しているのでしょう。

私は子どもの頃から、食べ物を無駄にしないようにと教えられてきました。食べ物を捨てることは、無条件でもったいないことだ、という考え方です。おそらく多くの日本人は、この言葉の意味を深く疑うことなく受け入れているのではないでしょうか。

どうしてこの言葉を考察しようと思ったのか

私は幼い頃から、「お米は一粒も残すな」「出された食べ物は残してはいけない」と教えられて育ちました。その教えのまま大人になった今も、基本的にはいつも完食しています。

しかし、無理に食べきった結果、体調が悪くなることが時々あります。おそらく、これまでに何百回も同じことを繰り返してきたと思います。それでも、その癖はなかなか治りません。お腹がいっぱいでも「食べきらなければいけない」という気持ちが強く、つい食べ過ぎてしまうのです。

これは実は、「もったいない」「残して捨ててはいけない」という価値観に縛られているからではないか。そう思ったことが、このブログを書こうと思ったきっかけでした。

本来は物を大切にするポジティブな文化

食べ物を捨てないという考え方は、生産者の方々が一生懸命作ったものを大切にするための、非常に前向きな価値観のはずです。まだ使える物を捨てず、長く使うことは環境にも優しく、生産者への感謝を示す行為でもあります。

私はこの考え方がとても好きで、日々の生活の中でも意識して実践しようとしています。作った人の立場からすれば、それはきっと嬉しいことだと思います。

もったいないの価値観の裏に潜む罠

ただ一方で、この「もったいない」という価値観が、現代の生活の中で本当に私たちを健康的に、あるいは豊かにしているのかは、少し立ち止まって考える必要があるのではないかと思うようになりました。

本来は物を大切にするための考え方が、いつの間にか自分の体調や感覚よりも優先されてしまっているとしたら、それは本当に良いことなのでしょうか。

普段は、この価値観が自分を苦しめていると感じる場面は、あまり多くないかもしれません。しかし、「もったいない」はいつの間にか「良い行い」から「守らなければならない義務」へと変わってしまっているのではないでしょうか。

本来は物を大切にするための考え方だったはずなのに、残すこと=悪いこと、捨てること=罪のように感じてしまう。私自身も、お腹がいっぱいでも「残してはいけない」という気持ちに支配され、無理に食べ続けてしまいます。その結果、体調を崩すことも少なくありません。

それでも「もったいないから仕方がない」と、自分の体よりも価値観を優先してしまうのです。

そこで私が考えた「もったいない」との向き合い方

「もったいない」という言葉は、本来、物や食べ物、そしてそれを生み出した人たちへの感謝から生まれた、とても美しい価値観だと思います。しかし、その言葉がいつの間にか、自分の体調や感覚、心の声よりも優先される“守るべきルール”になってしまっているとしたら、それで私たちは本当に豊かになっていると言えるのでしょうか。

物を大切にすることと、自分に無理をさせることは、本来同じではないはずです。残さず食べることだけが感謝の形ではなく、適量を選び、楽しんで食べることもまた大切だと思います。体が喜んでいない状態は、作ってくれた人たちへの本当の感謝にもなっていないのかもしれません。

美徳を当然のルールのように扱わず、自分の感覚と向き合うこと。その上で、本当の意味での感謝から生まれる「もったいない」を大切にしていきたいと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました