1 自分らしくいる、生きるとはどういうことか
最近、「自分らしく生きることが大切だ」という言葉をよく耳にします。
では、その「自分らしさ」とは一体何なのでしょうか。私は少し考えてみました。
自分なりに考えた結果、それは
「自分が無理をしていない状態」
なのではないかと思いました。
自由に生きること、好きなことだけをすること、周りを気にしないこと——
そういったイメージが、自分らしさと混同されがちです。
しかし、私はそれとは少し違うと感じています。
自分らしく生きるとは、「何をしたいか」よりも、
**「何をしていると自分は苦しくなるのか」**を
正直に認めることではないでしょうか。
2 なぜ私たちは自分らしさを失いやすいのか
私たちは常に、自分を他人と比べてしまいます。
そして、他人の評価をとても気にします。
人間は本来、集団の中で生きるようにできているので、
これが一番大きな原因だと思います。
会社などの組織に属していれば、他人の評価を気にするのは避けにくい環境です。
特に日本では、社会全体が「調和」を非常に大切にします。
個人の意見よりも、周りの多数意見が優先されがちです。
こうした環境に長く身を置くと、
自分を抑えて生きることに慣れてしまうのだと思います。
私はその環境にうまくフィットできませんでした。
しかし幸運にも、フリーランスとして生きる道を選ぶことができました。
欧米の友人たちを見ると、自分の意見をしっかり持ち、はっきり伝えています。
もちろん周りの意見にも耳を傾けますが、
自分を殺してまで合わせることは少ないように感じます。
その生き方は、とても参考になると感じています。
3 相手に合わせようとして失敗した経験
私が20代の頃、彼女を作ろうとして、
合コンに参加したり、知り合った人とランチやコーヒーに行ったりしました。
そのたびに「かっこいい自分」を演じようとして、
正直、とても疲れていました。
初対面の相手にも、無理をしていることは伝わっていたと思います。
案の定、うまくいくことはほとんどありませんでした。
他人の評価を気にしすぎている自分が嫌いになり、
もし仮に付き合えたとしても、
きっと長くは続かなかっただろうと思います。
その頃から、「もっと正直に、自分らしく生きよう」と考えるようになりました。
自分はパーソナルスペースが広く、
自分らしく生きると彼女ができにくいかもしれないと思いました。
それでも、ストレスを抱えながら生きるよりは、その方がいいと思ったのです。
4 自分らしさと、わがままは違う
人によっては、
「あなたはわがままだから、女性に合わせられない」
「日本社会で生きられないだけだ」
と言うかもしれません。
では、わがままとは何でしょうか。
わがままとは、
自分の欲求を最優先し、責任や他人を顧みない態度だと思います。
自分の欲が満たされれば、それでいいという姿勢です。
しかし、そのような生き方は、結果的に自分自身を苦しめます。
私はそれに気づき、自分らしさを守るために、
集団での行動から距離を取るようになりました。
自分が「これはわがままなのか、それとも自分らしさなのか」と
悩み、考えている時点で、
それはわがままではないのではないかと思います。
5 自分が意識していること(聖書の視点)
聖書の言葉も、私が自分らしく生きることを後押ししてくれました。
ローマ12章6節には、
「私たちは、それぞれ異なった賜物を与えられている」
と書かれています。
これは、全員が違う性質を持っているということです。
比べる必要はなく、
自分に与えられた役割を生きることこそが、自分らしく生きること
なのだと思えるようになりました。
また、聖書は「自分を大切にすること」を否定していません。
マタイ22章39節
「自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ」
自己理解し、自分を尊重することが前提としてあり、
それを隣人にも向けるように語られています。
一方で、自己中心的な生き方には警告もあります。
ローマ15章1–3節では、
自分を喜ばせることよりも、神と隣人を喜ばせる生き方が語られています。
これらの聖書の言葉は、
**わがままではない「自分らしさ」**を肯定していると私は感じています。
私は、そのような生き方の中にこそ、
最善の人生があると信じています。
あなたが「自分らしくいられない」と感じるのは、
本当にわがままだからでしょうか。
それとも、無理をし続けてきた結果でしょうか。


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