「神に委ねると努力は無意味?疑いながらも歩む信仰の道」

神にすべてを委ねる聖書の教え

私は今まで、努力こそが人生を切り開く唯一の道だと思ってきました。
特にクリスチャンになる前は、どれだけ勉強したか、自分磨きをしたかが、その後の人生を豊かにするものだと強く信じていたのです。

しかし、クリスチャンになってから衝撃的な聖句に出会いました。
それが、マタイの福音書6章25節から34節です。

要約すると、
何を食べるか、何を着るかと日々のことで思い煩うな。
神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、それらのものはすべて与えられる、
という教えです。

また、箴言16章3節にはこうあります。

あなたの行いを主にゆだねよ。
そうすれば、あなたの計画は成し遂げられる。

この箇所は、自分の努力や計画を神に委ねること、そして結果は神の導きのもとで成就することを教えています。

これを読んだとき、私は
「毎日の努力で人生を設計していくことだけが大事なのではないのかもしれない」
と思うようになりました。


努力は無駄じゃない。でも疑心暗鬼になるときもある

ここで間違えてはいけないのは、聖書は努力すること自体を否定していないということです。
しかし最終的に人生を導かれるのは神様です。

私はクリスチャンになってから一時期、「男磨き」や「自分磨き」といったジャンルの動画にハマっていたことがあります。
目標に向かい、夢を叶えていくことを追求する内容でした。

収入を上げたい、自信をつけたい。
そう思って努力していましたが、途中である疑問が湧いてきました。

「これは神様の導きからそれているのではないか」
「これは神様が用意している最善の人生ではないのではないか」
「努力して何かを掴み取ることで、高慢になってしまうのではないか」

このような疑問です。


疑いを乗り越えるための考え方

努力し、行動すること自体は決して不健全な姿勢ではありません。
私はオーストラリアでの経験を思い出しました。

仕事がなくて困っていた時期、家にいても仕事が舞い込んでくることはありませんでした。
仕事を探しに行く必要があったのです。

そのとき牧師さんに言われました。
「行動した結果を、神様が最善の方向に導いてくださる」

当たり前のように聞こえますが、この言葉を思い出したとき、
努力は神様の祝福を受けるプロセスの一部なのだと理解できました。

私が今している日本語チューターの仕事も、祈った結果与えられたものです。
しかし、インターネットで仕事を探さなければ見つからなかったでしょう。
また、仕事の質を上げ、継続して依頼をいただくために努力もしました。

ここには、信仰と行動(努力)のバランスが必要だと感じています。


委ねることと努力のバランス

私自身、努力しようとすると時々
「これは神を忘れて、自分の力に頼っているのではないか」
と不安になることがあります。

けれど、聖書を読み続ける中で気づいたのは、
神に委ねることと努力することは対立しない、ということでした。

毎日祈ることは大切です。
今している努力が正しいのか、神様に尋ねることができます。
そうすることで、自分の力だけに頼らず、与えられたことに集中しやすくなると思います。


まとめと考察

端的に言えば、神に人生を委ねることと努力することは対立するものではないと思います。

神との交わり(祈りや聖書を読むこと)を通して人生の方向と結果を神に委ね、
あとは毎日やるべきことに全力で取り組む。

それが、私にとって一番よいバランスの生き方だと感じました。

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